「日常に根ざしたお菓子」。ふわふわ食感と優しい甘さ、その背景にある物語

卵と砂糖、小麦粉、水あめのシンプルな材料で作られるカステラは、ふわふわの触感と優しい甘さゆえに食べやすさもあり老若男女問うことなく愛され続けてきた日本のお菓子だ。

文明堂は1900年中川安五郎氏がカステラ発祥の地、長崎にて創業。その後、実弟の宮﨑甚左衛門氏が1922年に東京に進出し、文明堂東京の前身である、東京文明堂を創立した。まもなく東京進出100周年を迎える老舗カステラ(和菓子)店だ。
関東大震災や戦争などを経験し、幾度となく苦難を乗り越えながら今この時代にも人々においしいお菓子を届ける姿は、大地に根を張る花のように美しくてたくましい存在だ。

ときに強くときに優しく、大切に愛情を込めて文明堂東京という花に水を撒き育ててきた創業者・宮﨑甚左衛門氏。何度も踏みにじられ、それでも前へ進むために懸命に走り続けてきた。宮﨑氏がそれまでして後世に伝えたかった想いとは果たして何だったのだろうか。この記事では文明堂東京の創業ストーリーを紹介するとともに宮﨑氏のその想いの根っこを探る。

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創業物語:立ち上がりさえすれば未来は開ける

文明堂は1900年、中川安五郎氏が長崎にて創業。

1916年には、中川氏の弟である宮﨑甚左衛門氏が佐世保で独立、初出店し、6年後の1922年、東京へ初出店した。上野黒門町に1号店をオープンさせる。しかしその翌年、関東大震災によって東京店は焼失。やむなく長崎へ帰郷することとなった。

しかし、宮﨑氏はいても経ってもいられず、再び東京へと戻り麻布で再出発を切る。また日本で初めて実演販売を行い多くの人を驚かせた。今でこそ見かけることの多い実演販売だが、なぜ行うに至ったのか。文明堂マーケティング部 広報担当者にその理由を尋ねてみた。

「箱詰めされたままのカステラは、お客さまから見ると『中はどんなものが入っているのだろう?』と想像がつきにくいのではないかと考えたそうです。そこで、目の前でカステラを切って詰めてみたら面白いのではないかと。カステラは普通、販売する時点では長方形にカットされていますよね。けれど出来立ては何倍も大きく、いかに綺麗に切り分けて手際よく箱詰めしていくかも至難の技。簡単な作業のように見えて実はとても難しく経験が必要となります。」

「ふわふわの柔らかなカステラは包丁を入れるだけで崩れやすく、上手に持たなければ変形してしまいます。お菓子を作る工程以外のそういった部分も含めて職人が大切にカステラを扱うその姿までもお客さまに見ていただき、安心へとつなげたい。そういった想いから実演販売にこだわっていたようです。」

当時の日本は“カステラ=高級品“の時代。ご主人のお使いでお手伝いさんが買いに来るケースもあり、その様子を見た宮﨑氏は、カステラ2割増量サービスを開始。「増量した2割をお手伝いさんに食べて欲しい」との想いから始めたこのサービスだが実はもう一つの理由もあった。カステラを食べたお手伝いさんが「美味しい」と話すことで文明堂のカステラを大切な方への贈り物に選んでいただくことに繋がると宮﨑氏は考えたのだった。

「美味しいカステラを多くの人へ届けたい」との想いと共に、商売人としての気質にも優れていた宮﨑氏。その努力は着実に成果を見せ、1925年には宮内省御用達を賜るなど商人にとって大変喜ばしい名誉を得ることとなった。

「カステラは1番電話は2番」

文明堂東京は1933年、新宿にオープン。4年後には「カステラは1番電話は2番」と文明堂を象徴するキャッチフレーズで味とともに評判はさらに大きく広がることとなる。
当時の電話機は今とは違い、交換台と呼ばれる交換手のいる局を経由して繋がれていた。電話をかける側は交換手に宛先と番号を告げるわけだが、その番号が文明堂は2番だったため「電話は2番」というフレーズになった。

「覚えやすい語呂合わせにしておけば、お客さまがわざわざ電話帳を開く手間が省けるといった宮﨑氏の想いとユニークな発想のもとこのフレーズが生まれました。」

1939年、銀座店をオープンさせる。順風満帆に思えたのも束の間、またしても苦難が訪れる。東京大空襲によって再び店舗が焼失してしまったのだ。しかし、宮﨑氏は諦めなかった。5年後にはカステラの製造を開始し販売再開。その翌年には本店、日本橋店を設立。中止状態が続いていた実演販売も再開した。

厳しい状況を何度も耐えぬき、文明堂の歴史を絶やすことなく守り続けた宮﨑氏。その想いは、「いまもお菓子を開化する」との言葉と共に、大切に紡がれている。

「人と人とをつなぐお菓子を届けたい」

文明堂が東京進出してから約100年経った今でも変わらず大切にしている想いがある。

「お菓子を選ぶとき、贈る相手のことを考えながら、どんなものがいいかな、喜んでくれるかなと皆さん真剣に悩まれます。贈る側も、贈られた側も笑顔になるお菓子でありたい。そして何より、大切な誰かを想って文明堂のお菓子を選んでいただけるのはとても嬉しいですし、その手助けができる存在であり続けたいと想っています。」

また、「お菓子はコミュニケーションツールの一つ」と、広報担当者は話す。家族でも友人でも、一緒に過ごす時間に寄り添う美味しいお菓子は、より幸せな時間を与えてくれる。

「カステラは、シンプル材料で作られています。卵と砂糖、小麦粉、水あめ。余計な添加物も使っていませんし、ふわふわのスポンジと優しい甘さのカステラは年齢問わず誰でも食べやすい。『食欲がないときでもカステラは食べられる』といったお声をお客さまから聞くこともあります。」

「ベーキングパウダーを使って生地の膨らみを出すのではなく、カステラは卵の力であの厚みを出しています。新鮮な卵を厳選するのはもちろん、膨らませるには技術も必要です。まず木枠に生地を流し入れて全体が均等になるよう生地を混ぜるのですが、この作業がとても難しい。均等でなければ膨らみ方がいびつになってしまうのです。焼き加減もその日の気温や湿度によって繊細に調整しなくてはなりません。一つひとつの工程に職人は自らの技術や神経を注ぎ込み、あの綺麗な黄金色のカステラが完成します。文明堂が大切に紡いできた美味しさを守るには、手間を惜しまないこと、そして丁寧な物づくりの心が大切なのです」

見た目はシンプル、しかし職人が長年培ってきた技術の産物でもあるのだ。ありふれた日常にも特別な日にも、シーンを超えて選ぶことのできるカステラは、多くの人にフィットしやすく私たちに最も身近なお菓子でもあるのかもしれない。

お客さまの声を聞くために誕生した「文明堂カフェ」

日本橋にある文明堂カフェは、文明堂がつくったカフェレストラン。「和と洋、今と昔、人と人」をコンセプトに、色の文化や歴史を超え、多くの人に“美味しい“を共有し、楽しんで欲しいとの想いが形になった空間だ。また、「お客さまのお声を直接聞きたい」との想いもあったそう。

メニューにある『特撰カステラ2種あわせ』は、蜂蜜の風味香る柔らかな口どけの「特撰ハニーかすてら吟匠」と、まろやかな甘味が特徴の和三盆を使用した「特撰五三カステラ」の2つを同時に楽しむことができる。「お客さまが『こっちの方がしっとりしてる』『こんなに違うんだ』とそれぞれの味や食感の違いに反応していらっしゃる姿をダイレクトに見ることができるのも、カフェの良いところですね。」

一人でも気軽に楽しめる食べきりサイズのおやつカステラや、バームクーヘン、三笠山等個包装のお菓子も揃う。自分用のおやつとして買いに来る方や、スーツ姿の男性が1人で訪れることも。
「カフェをきっかけに若い方にも文明堂を知っていただき、そして気に入っていただけたら嬉しいですね。」

この先もまた100年歴史を紡いでいく

最後に、文明堂東京からお客さまへ届けたいメッセージやこれからの展望について伺った。

「文明堂東京が大切にする『誰かを想う、あなたのために。』という想い。お客さまに対してはもちろん、社会全体にも貢献していきたいという大きな視野での意味も込められています。多くの逆境の中100年もの歴史を紡いで来られたのは創業者である宮﨑氏のこれまでの努力とお客さまを大切にする想い、そして強い信頼があったからこそだと思うのです。その想いを今の時代に乗せて届けて行くことは私たちの使命でもあります。」

「踏まれても根強く保て福寿草 やがて花咲く春に会わなん」

逆境の中、宮﨑氏が幾度となく口ずさんだ言葉は、どれだけつらくともじっと我慢し、自らの夢を追いかけることをやめなければ必ず春が来て花は咲くという意味だ。福寿草は早春に花を咲かせ、夏には枯れてじっと土の中で根っこから栄養を蓄えて再び春の訪れを待つ。その姿は、まさに逆境や試練を自らの人生の肥やしにして再び立ち上がるために地道に水を撒くことをやめなかった宮﨑氏のようである。

店舗情報
店名:文明堂東京 日本橋本店

住所:東京都中央区日本橋室町1-13-7

営業時間:9:30〜19:00
※土・日・祝日は10:00〜19:00

新型コロナウイルス対策の一環として、短縮営業を実施している場合がございます。
ご来店の際は、予め文明堂東京ホームページまたは、日本橋本店で最新情報をご確認ください。
https://www.bunmeido.co.jp/

kanmi
3時のおやつはかかせない、甘党フリーライター。好物はクラブハリエのバームクーヘン。毎日がほんのりとあたたかくなるような文書をお届けします。