継承と革新、日本の美しい生活文化を創造するチャレンジ精神を

銀座は、日本の“新しさ”がありながら、“昔ながら”もちゃんと感じることのできる街。

銀座に創業当時より店を構える、資生堂パーラー。日本の「美」と「食」を牽引する重鎮的存在である。今でこそカフェやレストランのイメージが強いが、その始まりは資生堂薬局内に設けられた“ソーダファウンテンコーナー”であった。今回は、資生堂パーラーのブランドストーリーについて紹介する。

強い信念があるところに本物は生まれる

遡ること、今から100年以上。創業者・福原有信(ふくはらありのぶ)氏は、銀座八丁目(当時の出雲町一番地)に日本初の洋風調剤薬局、資生堂を開業する。資生堂という名の由来は、中国の古典「易経」の中の一節「万物資生」から。「大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものは、ここから生まれる」という意味であり、“ここから新たな文化を生み出して行こう”という、福原氏自身の強い信念が込められている。

当時の日本人にとって、西洋の文化は目新しくもあり、風変わりなものとして捉えられていた。そのため、薬局の洒落たデザインの商品や高品質な品揃えは、なかなか受け入れてもらえず、創業当初は苦悩と試行錯誤を繰り返す日々であったそう。
しかし、福原氏は“本物志向”の信念を貫き通し、品質の良さが理解されるようになり、「信頼できる薬局」として、人々に受け入れられることとなる。
薬局では薬のほかに、歯磨き粉やおしろい、化粧水など美容に関する商品も自社で作り、販売していた。これは福原氏自身が「美」への造詣が深い人物だったことを現しており、のちの資生堂化粧品部へと繋がっていったのであろう。

始まりは“ソーダ水”だった

1900年、福原はパリ万博視察の帰りにアメリカへ立ち寄る。そこで目にしたのは、ドラッグストアでソーダ水片手に談笑するアメリカ人の姿であった。福原氏はその光景を見て直感的に「面白い」と思った。薬のイメージ自体“良薬口に苦し”ともいうように、決して美味しいものではなく、苦くてまずいものである。そんな中、アメリカのドラッグストアではソーダ水片手に楽しく談笑している。そこにインスピレーションを得た福原は「ぜひとも日本の薬局に取り入れたい!」と心を動かされ、帰国。


現在の資生堂パーラー アイスクリームソーダ(レモン)

それから2年後の1902年、資生堂薬局内に「ソーダファウンテン」コーナーを設ける。そこではソーダ水をはじめ、日本では希少だったアイスクリームも製造販売。この時、ソーダ水製造機や、スプーンにストロー、コップなどをアメリカから取り寄せるなどして、徹底的に本物にこだわった。このソーダファウンテンが今でいう「資生堂パーラー」の前身である。

ちなみに、日本初のソーダ水や、当時まだ珍しいとされたアイスクリームは、日本を代表する文豪、森鴎外の小説「流行」の中にも登場する。「ハイカラな資生堂」というイメージが日本人へ強く印象づけられることとなる。

引用:歴食.https://www.rekishoku.jp/ja/story/54

福原有信氏が仕掛けた斬新なマーケティング戦略

福原氏には、流行を誰よりも早く見抜く才能があった。ソーダ水を、オイデルミン(1897年の発売以来、資生堂のロングセラー化粧水のこと。別名「資生堂の赤い水」とも言われる)とセットでパッケージにして発売。新橋の芸者衆や一流志向の人々の目にとまり、たちまち大ヒット。ソーダ水が当時まだ珍しかったことも流行した理由のひとつではあるが、もうひとつ、福原氏が仕掛けた斬新なマーケティング戦略にもあった。

(写真)当時、ジャパンタイムズ(外国人向け日本新聞)に掲載した、ソーダ水と化粧水の広告

1903年に発行された資料の中にも、紙面の真ん中に、当時まだ福原資生堂だった頃の屋号にて『American Soda Water. FUKUHARA SHISEIDO』と堂々掲載されている。
この新聞は、日本に滞在する外国人向けのものであったことから、福原は「アメリカの懐かしい味を、日本でも楽しめる」とアピールした意図が垣間見える。

「人々の生活を、美と健康で豊かに」

1917年、ソーダファウンテンを備えた薬局から、化粧品部を独立させる。薬局からひとつ道を隔てた角に、化粧品販売を行う店を別に開店。煉瓦造りの店舗には、1階が店舗、2階を化粧品製造、3階には意匠部を新たに設けた。

意匠部では、ポスターや新聞などの広告、パッケージデザイン、店舗設計まで行っていたというから驚きである。ここで生み出されたモダンで洗練されたデザインの数々は「資生堂スタイル」とも言い表されていたそうだ。現在の資生堂にも通じる、優雅で気品あるイメージはすでにこの時からスタートしていた。

製品のみならず、デザイン全般を自社で行うそのスタイルは、福原の強い美意識から来るものであり、デザインをいかに重要視していたかが強く現れている。

他には研究室も設けられ、そこでは新製品の開発および既製品の改良が行われていた。当時から化粧品を化学製品として扱い、徹底した品質管理を行うという姿勢からは、またしても福原の本物思考精神が垣間見える。

資生堂の基本理念とされる「美と健康」が大きな柱となったことには、福原が創業時より「人々の生活を、美と健康で豊かにしたい」という思いがそのまま反映されており、現在まで引き継がれている。そしてその資生堂の“内面へアプローチする姿勢”は、やがて、人間が生きていく上で決して欠かすことのできない「食」の世界へと発展することとなる。

西洋料理を日本へ。資生堂パーラー誕生

1923年の関東大震災では資生堂も全壊の被害を受けた。しかし、銀座界隈にある店は、どこも3ヶ月ほどで復興。資生堂もそんな状況の中、厳しいながらもと経営を続けていた。

復興後の建物はプレハブ(バラック)であったが、パリなどで活躍した洋画家、川島理一郎氏に依頼し、白亜の御殿のように、しっかりとした印象の建物だった。

*(写真)当時送られていた資生堂アイスクリームパーラー開店時の招待状

そして、1928年、西洋の食文化をより日本へ広めたいと考えた福原氏は、本格的な西洋料理店「資生堂アイスクリームパーラー」をスタートさせる。名前に”アイスクリーム“とつけたのは、当時人気だったこともあり、お客を引きつける意味合いでつけたと言われている。その後、店名は現在の「資生堂パーラー」へと変更された。

代表メニューは、ビーフカレーやチキンライス。そのほか、ビーフシチューやトマトマカロニグラタン、プレーンオムレツなどもメニューに並ぶ。

*(写真)当時の貴重なメニュー表。英語、日本語、カタカナ表記が入り混じる。ビーフカレーよりもチキンカレーの方が値段が高いのは、当時、牛肉より鶏肉の方が高級とされていたためである。

現在の資生堂パーラー人気メニュー、オムライス。実は、立ち上げ当初はなかったメニューなのだそう。お客さまから「チキンライスをオムレットで巻けないか?」と依頼されたことがきっかけで、いつしか定番となった。

長年受け継がれてきた、伝統メニュー

外はサクサクッ、中はトロトロの「ミートクロケット」

1931年、3代目総料理長となった高石鍈之助氏。彼は、13歳から洋食屋の名店と呼ばれた東洋軒で修行を重ねた人間であった。その間に、昭和天皇が皇太子時代の午餐会にたまたま立ち会った際、そこで出会ったフォアグラのクロケットというフランス料理に強く感銘を受ける。「これをいつか”自分なりの一品“として作りたい」そう想い続け、資生堂パーラーで、ミートクロケットを考案。以降、これは同店の名物となり、今もなお受け継がれる代表メニューである。

コロッケは当時、庶民の味として大変に親しまれていた。高石鍈之助氏は「フランス料理を日本人に食べてもらいたい」そんな想いから、じゃがいもを使っていないミートクロケットを作ったのではないかと思われる。

食べたときに程よい歯応えが感じられるよう、中の仔牛肉とハムは細かな賽の目状に切られており。つなぎのベシャメルソース(ホワイトソース)を合わせ、衣を付けて油でさっと揚げたらオーブンへ入れてじっくり熱を通す。この一手間が、外はカリッ、中はトロトロのミートクロケットへと繋がるのだ。
盛り付けの際、ソースをクロケットの下にしくのは「美しい俵型を食べる直前まで目でも楽しめるように」という、資生堂ならではの“美”へのこだわりから。

引用:資生堂パーラー.https://parlour.shiseido.co.jp/restaurants/traditionalmenu/index.html

深いコクと豊かなスパイス広がる「カレーライス」

資生堂パーラーのカレーライスは、深いコクと香り豊かなスパイシーが特徴。一度食べるとクセになってしまう味だ。完成までには数日かかり、食材こそ変われど秘伝のレシピは開業当時からずっと受け継がれるもの。

作り方は、まず、玉ねぎ、しょうが、にんにくそれぞれみじん切りにしたものを、ラードで個別にじっくりと揚げる。そこへ、小麦粉とブレンドされたカレー粉を合わせて焼き色がつき、さらに味に深みが出るまでオーブンで1時間。程よい赤茶色になったら、鶏ガラ、香味野菜、ブイヨンを加えてさらにじっくりと煮込む。最後に丁寧に漉して、完成。手間暇かけたカレーは、口当たりはとてもまろやかで、しっかりと味わい深い一品に。

引用:資生堂パーラー.https://parlour.shiseido.co.jp/restaurants/traditionalmenu/curry.html

資生堂のシンボルマーク “花椿”と“パーラーブルー”の秘話

資生堂パーラーと言えば、やはり、花椿ビスケットを忘れてはならない。優しい甘みとサクサクっとした食感は、どこか懐かしい気持ちを思い起こす。

商品名にもある“花椿”は、資生堂のシンボルマークでありクッキー自体にもデザインされている。花椿模様は、創業者である福原氏自身が水の入った鉢の中に椿の花を浮かべ自らデッサンしたものが原形だそうだ。

*1990年、当時リニューアルした資生堂パーラーの洋菓子パッケージ

また、クッキーのパッケージにも使われるブルーは、資生堂パーラーのシンボルカラーでもあり、“パーラーブルー”とも表現される。パーラーブルーが誕生したのは、1977年。革新的なデザインを数々生み出してきたグラフィックデザイナー、仲條正義氏が仕掛けたものである。当時、ブルーは食の分野ではタブー視されてきた。その理由として、「食欲がわかない」「美味しく見えない」からである。しかし仲條氏は敢えてそれを逆手にとり、ブルーを前面にしながらもゴールドを配色することで、上品かつ印象的なパッケージへと仕上げた。後にこのデザインは広く親しまれるとともに「資生堂パーラーと言えばブルーのパッケージ」と言われるまでになる。

「継承と革新」創業から根付いた資生堂パーラーのチャレンジ精神

パーラーブルーは誕生以来、マイナーチェンジしながらも長く愛され続けた。しかし2015年、資生堂パーラーは「若い方や海外の方にも手にとって欲しい」という思いから、定番の洋菓子シリーズのパッケージを始めとするリボン、ショッピングバッグ、包装紙を総じてアップデートするに踏み切る。味わいもさらに美味しく進化させた。

このデザインを再び手掛けることとなったのは、パーラーブルーの生みの親、仲條氏その人だった。彼は、資生堂パーラーの想い「伝統と革新」をもとに、新しいデザインのテーマを「銀座アバンギャルド」と掲げる。そこには「銀座を引っ張り、牽引していく存在になって欲しい」という意味が込められている。

生まれ変わったデザインは、赤、白、青を基調としたストライプ。フランス国旗をイメージさせる、ポップな印象へと大きく変化。時より黒を使用し、力強さもプラスした。同時にこだわったのは、ひと目で何の商品が入っているのかがわかること。

それぞれのパッケージの目立つ位置に「CHESE CAKE(チーズケーキ)」「BISUITS(ビスケット)」などと、中身の商品名をオリジナルフォントで記載するという大胆かつ新鮮な試み。

あまりの変化に賛否両論あったそうだが、新しいことにチャレンジし、よりたくさんの人に知ってもらいたいという資生堂の強い信念「トライアンドエラーアンドトライ」の精神がそこには息づく。

デザインのほか、味も変更された。人気のチーズケーキは美味しさをさらに追求するため、材料が一部見直された。以前は日本産とデンマーク産のチーズをブレンドしていたが、100%デンマークにし、より本物に近い濃厚な仕上がりに。

大きな企業であればあるほど、ひとつの決断は、良くも悪くも大きな変化を伴う。しかしながら、「伝統と革新」の精神は、守るばかりでは決して生まれないのだ。それゆえ、2015年のこの改革は、資生堂パーラーにとって、かなりの大きな覚悟と決意を伴い進められた。

「贈り物に」「おもたせに」 洋菓子だったら資生堂パーラー

資生堂パーラーのお菓子の魅力は、可愛いパッケージや美味しさはもちろんのこと、おもてなしの精神が宿っているところ。例えば人気のチーズケーキは、1つずつ小包装になって食べやすく、ちょうど良いサイズ感で販売されている。これは、友達や職場などの大人数の場で配りやすいということもあるが、ひとりでも食べやすいようにとの想いでもある。

使う材料にもこだわり、安心・安全なものを条件に、美味しさを追求するためには味のアップデートも欠かさない。「贈り物に」「おもたせに」「大切な場所に」と、どんなシチュエーションにも使える豊富なラインナップは、「洋菓子だったら資生堂パーラー」と多くの人から選ばれる理由にもなっている。

お菓子を始め、カフェ、レストランと、資生堂パーラーの全てをひとつの場所で楽しめてしまう「資生堂パーラー 自由が丘店」が2019年5月にオープン。ここでは定番のお菓子やレストラン、カフェメニューのほか、店舗限定の生菓子なども提供される。地下には菓子工房を完備。ケーキやチョコレートといった生菓子を作っている。自由が丘駅から徒歩5分というアクセスのしやすさも魅力。テラス席もあり、お散歩途中のちょっとした休憩場所としても気取らずに入ることができる。

銀座を照らす灯台のような存在に

赤煉瓦の出立ちが銀座の街の中でもひときわ目を引く、東京銀座資生堂ビル。スペインの建築家、リカルド・ボフィルが設計を担当。

コンセプトは、資生堂の名前の由来「万物資生」から引用し、”全てのものは、大地から生まれている“というメッセージを踏襲。煉瓦造りには、銀座の大火の後、火が回らないようにとの理由から、銀座界隈が煉瓦造りの建物に統一されるとともに「煉瓦街」であった当時を思わせる。また、建築家であるリカルド・ボフィルの、生まれ故郷スペインの大地が赤土色であり、この2つは静かにリンクしている。

完成したのは2001年。創業当初から変わらぬ場所。資生堂アイスクリームパーラー、資生堂会館ビルを経て今の姿となった。
2001年の竣工当時、銀座で最も高かった11階建てのビルは、今なお「銀座を照らす灯台のような存在」だ。

そして、資生堂パーラー 銀座本店は、よりお客さまが快適に過ごせるようにとの想いから、2019年11月リニューアル。さらに“美”へ磨きをかけた、新しい資生堂パーラーと出会える。

お客さまに寄り添う“with(ウィズ)”の精神

資生堂パーラーは、ふつふつとみなぎるパッションを匠のよう研ぎ澄まされた精神と技術で、ひとつひとつ時代とともに形にしてきた。時に斬新なものは世間にすぐに受け入れてもらえなかったが、信じた道を決して曲げなかった。その信念は創業者である福原氏の想いでもある。

そのスピリットは今、資生堂パーラーの代表が考える“with(ウィズ)の精神”に投影される。
ひとりひとり違う想いで来店されるお客さまへ、心地よいサービスを提供したい。通り一遍のマニュアルではなく、お客さまに寄り添う気持ちを大切にしたい。そんな想いが、ここには込められている。

元を辿れば、西洋文化を日本人に知って欲しいという想いから始まり、日本人の口に合う洋食を提供することから資生堂パーラーは進化し続けている。西洋文化をただ取り入れるのではなく、好きになってもらうため、美味しいと感じてもらうための優しさは忘れない。その誠実さ、姿勢のようなものは、日本人ならではの繊細さであると感じる。

驚き、感動、喜びを提供してきた資生堂パーラー。100年以上も続いてきたその根幹には、日本人だからこその文化や精神を決して忘れない、そんな想いを脈々と受け継いできたからだろう。

「本物に出会える」「ずっと通いたい」そんな場所であり続けたい

長きにわたり育んだ歴史。それを大切に想いながらも、挑戦し続ける姿勢。そこには、私たちをあっと驚かせる仕掛けが多くある。

資生堂パーラーには、大切にしている想いがある。それは、「たくさんの方々との出会いを通して新しく深みのある価値を発見し、美しい生活文化を創造すること」。

薬局から始まった資生堂は、化粧品をはじめ、様々な事業へと世界を広げ今に至る。資生堂の中でも食の部門を担う資生堂パーラー。「食で内面から美しく」をコンセプトに、「本当の意味での“美味しい”は、“美しく”なくてはならない」ことも追求する。味を楽しみ、目でも楽しむ。お客さまに五感全てで楽しんでいただき、感動させる役割が資生堂パーラーにはあると提唱する。

資生堂パーラーに来店される人の中には、3世代、4世代に渡り愛し続ける人たちや、初めて来店される人もいる。誰がいつ訪れても、どんなシチュエーションであっても、ここへ来れば笑顔になれる、資生堂パーラーはそんな存在であり続けるだろう。

店舗情報
店名:資生堂パーラー 銀座本店

住所:東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル

営業時間:
[火~土]
11:30~21:00
[日・祝]
11:30~20:00
定休日:月曜日(祝日の場合は営業)

自由が丘に優雅で開放的な空間を。資生堂パーラーの伝統を味わう

2019年5月、「資生堂パーラー 自由が丘店」がオープン。

静かな街の中に佇む資生堂パーラー 自由が丘店は、レストランやカフェのほか、ショップも併設されている。資生堂パーラーの中でもこれだけ全てを楽しめる路面店は、自由が丘店が初。大きなテラス席もあり、自然を感じながら開放的な空間で食事ができるのも魅力的である。

菓子工房が併設されており、自由が丘店でしか出会えない限定生菓子も揃っている。それをお目当てに足を運ぶ方も少なくないそう。
今回は、そんな「資生堂パーラー 自由が丘店」の魅力をたっぷりとご紹介する。

心地良いテラス席が開放的な自由が丘にぴったりのお店

自由が丘にすっと馴染む、資生堂パーラー。かつて、二子玉川の髙島屋に資生堂パーラーがあったこともあり、資生堂パーラー 自由が丘店オープンは、街の人たちにとっても馴染みの人たちにとっても、そして初めての人にも待ちに待ったオープンであった。

店内は白と黒を基調にシンプルな趣。柔らかな陽が差す、心地良いテラス席。温もりの照明に落ち着いた店内は、どの席も開放的でゆっくりとくつろげる。

お菓子のショップが併設され、お食事だけでなく手土産を購入しに来る方も多くいらっしゃる。

来店されるお客さまは、お子さま連れやお友達同士、年配のご夫婦ととても豊か。行き届いた接客からは、数百年も続く老舗店ならではの安心と信頼を感じることができる。

資生堂パーラー発祥の「アイスクリームソーダ」

「資生堂パーラーの“始まりの味”を知って欲しい」との思いから、資生堂パーラー 自由が丘店でも、定番の「アイスクリームソーダ」を楽しめる。

ソーダ水の誕生以来ずっと変わらず定番のフレーバーは、レモンとオレンジの2種類。柑橘系のさっぱりした味わいに、資生堂パーラーならではのコクがありながらもすっきりとしたバニラアイスクリームがよく合う。

レモンの皮を煮出して作るレモンフレーバーは、まるで本物のレモンかのように爽やかな味わい。鮮やかで美しい黄色のソーダ水に浮かぶ白いアイスクリーム。このルックスもまた、資生堂ならではの「美」を表現している。
また、資生堂パーラーのアイスクリームは、創業当初から提供している伝統の味。他店と違い甘ったるさはなく、さっぱりとした口当たりが心地良い。この伝統の味であるアイスクリームと、ソーダ水のバランスは、資生堂パーラーの看板商品にふさわしい一品である。

アイスクリームとソーダをそれぞれ別で楽しむもよし、ソーダにアイスを溶かして味わうもよし、自分なりの楽しみ方をぜひ資生堂パーラーで。
季節限定で旬のフルーツを使ったソーダも登場するため、こちらも見逃せない。

自然素材で作る爽やかな味「自由が丘ハーブソーダ」

「定番のアイスクリームソーダを、自由が丘らしい飲み物へアップデートしたい」そんな思いから生まれた、店舗限定「自由が丘ハーブソーダ」。自然の素材にこだわり、ハーブのすっきりとした香りと味を楽しめる。

「レモンピールをシロップ漬けしたものにレモングラスの香りを添えて、さっぱりと仕上げました。定番ソーダ水の鮮やかな見た目とは違い、透明感があって見るからに爽やかに、ミントも加えてよりすっきりとさせました。テラス席で緑を感じながら飲んで頂きたいです。」そう話してくれたのは、シェフの穴倉氏。お食事後のお口直しにも最適。

ずっと愛される銘品「花椿ビスケット」

昭和初期始めに誕生して以来ずっと愛され続ける、資生堂パーラーを代表する焼き菓子「花椿ビスケット」。シンプルで素朴な味わいは、まるで母親が手作りしたような温かさがある。ザクザクと程よい食感を楽しめる。

誕生したのは昭和初期頃。資生堂パーラーでは、洋菓子や洋酒などを「資生堂アイスクリームパーラー」開店当初から輸入販売しており、オリジナル商品は、この花椿ビスケットが最初と言われている。発売当時は一斗缶で量り売りされ、その後、四角く赤い缶へパッケージされて販売。今では花椿の缶に入って店頭に並ぶ。

毎年缶の色を変えて登場する限定缶も、この花椿ビスケットの楽しみのひとつ。現在は、秋らしいあたたかみのあるオレンジ色であり、その洗練された缶を求めてコレクションする方も多いそう。
*オレンジ色(なくなり次第終了)
12月20日からは缶の色がホワイトの「花椿ビスケット」が限定登場いたします。


*1987年頃の花椿ビスケット

チーズよりもチーズらしい濃厚「チーズケーキ」

チーズケーキを想像しながら食べると、思わず「おっ!?」と声が出てしまうほどとっても濃厚~!な、チーズよりもチーズらしいチーズケーキ。その濃厚な味の秘訣は、チーズの本場、デンマーク産のチーズを100%使用しているから。お子さまはもちろん、大人の方には白ワインとともに楽しんで頂きたい逸品。

外側は北海道産の小麦粉を使ったビスキュイ生地、中はクリームチーズがたっぷりと入る。しっとりとろり食感を楽しめ、冷蔵庫で冷やせばまた違った口当たりも楽しめる。一つで二度美味しいとはこのこと。自分でお好みを見つけて欲しい。

個包装になっているのも嬉しい。会社やお友達へ配りやすいだけではなく、自分用に購入した際も新鮮な美味しいを味わえる。

大粒いちごが丸ごと入った「フレージュカシュカシュ」

資生堂パーラー 自由が丘店限定の「フレージュカシュカシュ」。見た目はシンプルなケーキ、けれど食べてびっくり!中には大粒いちごが丸ごと入っている。ケーキの名前にある“カシュカシュ”はフランス語で“かくれんぼ”を意味する。まさにそのままを表す、いちごが中に”かくれんぼ”したケーキだ。

「資生堂パーラー 自由が丘店の特別なショートケーキを作りたかった」という発想のもと生まれたフレージュカシュカシュ。ありふれたショートケーキの概念を覆す発想。ショートケーキの主役のいちごを中に隠してしまうとは…あっぱれ。

そんな発想とは裏腹に、老舗洋菓子店の美味しさやこだわりがたっぷり詰まっている。お砂糖はコクと旨味が出る三温糖を使用。生クリームはジャージーミルクで濃厚かつ後味はさっぱりに仕上げ、生クリームが苦手な方でも食べやすいよう工夫されている。生地のスポンジは滑らかでしっとり。

見て楽しい、食べて美味しい、資生堂パーラーらしさ溢れる“革新的ショートケーキ”をぜひ一度ご賞味あれ。

シンプルだからこそ美しい。究極「ストロベリーパフェ」

資生堂パーラーと言えば、いちごがたっぷり入った「ストロベリーパフェ」を思い浮かべる方が多いはず。

資生堂パーラー伝統のバニラアイスクリームを使い、いちご、生クリーム、ストロベリーアイスクリーム、いちごのソースと重なり、シンプルだが絶妙なハーモニーを口の中いっぱいに奏でる。白と赤のコントラストは見た目にも美しい。シェフの穴倉氏も「シンプルだからこそ、見た目と味にこだわっている」と話す。

資生堂パーラーのバニラアイスクリームは創業当時からレシピをベースにコクがありながらも、後味はすっきり。パフェにした時、主役のフルーツを上手に引き立ててくれるのだ。季節のフルーツを使った期間限定パフェも登場するので、そちらも要チェック。

手間と愛情を込めて作る「ビーフシチュー」

ごろりとした具の入った「ビーフシチュー」。ポテト、にんじん、玉ねぎ、シャンピニオンのお野菜で甘みを出し、和牛バラ肉で旨味を引き立てる。食べ応えがあるのに重たくはなく、気づけば完食してしまう。

完成までには何日もかかるのだそう。「手間と時間がかかるからこそ愛着が湧く、自分にとってもちょっと特別なメニュー」だと、シェフの穴倉氏はビーフシチューの作り方を丁寧に教えてくれた。

「和牛バラ肉は美味しい反面、煮込むととても崩れやすいのです。形をそのままに、いかにしっかりと煮込み美味しいシチューに仕上げるのか。そこにはやはり、手間と時間が必要です。」

「まず、お肉と野菜を赤ワインで煮込みます。そうすることでお肉が柔らかくなり、同時に臭が抜けます。翌日、お肉を焼きお野菜をソテーし甘みを出す。3日目にデミグラスソースとトマトホール缶でじっくり煮込み、4日目にお肉を切り分けます。この全ての工程のひつつひとつに手を抜かず、丁寧に向き合うことで美味しいビーフシチューが完成します。手がかかるからこそ、私自身とても思い入れのあるメニューのひとつです。ぜひたくさんの方に食べて頂きたいですね」

肉の煮込み料理には、日本料理にはない西洋文化ならではの“ブレゼ”という調理法を用いる。これは肉をじっくり煮込むことで旨味をソースに出し、そのソースの旨味をふたたび肉に吸わせる作業のこと。そうすることでよりソースと肉とに一体感が生まれ、肉を食べた時に感じる食感や溢れ出る旨味も格段にアップする。最後にデミグラスソースと合わせるのは、王道のフレンチ料理とは少し違う、日本人に合う洋食、まさに資生堂パーラーが提唱する「ご飯にあう洋食」へと仕上げるためだ。

そんなビーフシチューの味わいを家でも楽しめるレトルトも発売されている。シチューのほかにも人気のカレーやスープも揃う。自分用やプレゼント、お土産にもおすすめ。

また、
2019年の12月には、オープン後初めて迎えるクリスマスには、スペシャルな食材を使い、食感とバランスにこだわったシェフ渾身の目でも楽しめるグラスシャンパン付きのコースが登場するそう。


●クリスマスメニュー 6,800円(税込)

カラスミの前菜やオマール海老のリゾット仕立て、皮目をカリカリに焼いたフランス産鴨肉など、クリスマスならではの食材を使い食感とバランスにもこだわったスペシャルコース。
赤、緑、白のクリスマスカラーとクリスマスガーデンをイメージし目でも楽しめるように
盛り付け。米粉のフォンダンショコラとベリーのデザートがあたたかいひと時を演出。

前菜:カラスミに包まれた白身魚のマリネ 生姜のジュレとマイクロハーブ
スープ:カリフラワーのブルーテ カレー風味
魚料理:オマールエビのポワレ クリアなスープ ド ポワソンと焼リゾット
肉料理:フランス産鴨肉のロースト エピスの香り
デザート:フォンダンショコラ ベリーのソース
コーヒー、グラスシャンパン付

自由な時間を美味しい食事とともに

最後に、資生堂パーラー 自由が丘店に来られるお客さまへ向けたメッセージを店長 髙橋氏にうかがった。

「資生堂パーラー 自由が丘店の特徴はやはり開放的なテラス席です。外が見えるテラス席で、自由なくつろぎの時間を、美味しい食事とともに過ごして下さい」

自由が丘へ訪れた際は、ぜひ、資生堂パーラー 自由が丘店へ足を運んでみては。特別な時間に、そうじゃない時にも、ここには素敵な空間とお料理が、そして多くの笑顔に出会える。

店舗情報
店名:資生堂パーラー 自由が丘店

住所:東京都目黒区自由が丘1-4-10 quaranta1966 1F

営業時間:
11:00~21:00 (L.O.20:00)
※喫茶L.O.20:30

定休日:月曜日(祝日は営業)、年末年始