「日常に溶け込む」。しっかり届く気どらない和菓子

銀座に本店を構える「空いろ」は、予約しなければ買うことのできない空也もなかが有名な老舗和菓子店「空也」5代目、山口 彦之氏が2011年に立ち上げた新ブランドだ。

今、和菓子を独自のセンスで表現し、可能性を追求し続ける人たちがいる。空いろの山口氏もその一人だ。今回は、空いろが誕生する経緯や、空いろのこれまでとこれからについてを山口氏に伺った。

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夏目漱石も愛した「空也もなか」

山口氏は1979年、銀座にある老舗和菓子店「空也」のご子息として生まれる。大学を卒業後は3年間企業勤めを経験した後、空也に入社。和菓子職人としてのキャリアをスタートさせた。

空也は、明治17年、東京上野で創業した老舗和菓子店。戦争で上野の店舗が焼失するも昭和24年に銀座の並木通りに移転し営業を再開。1日に7,000個以上も売れている「空也もなか」は和菓子離れが進む今も、予約なしでは手に入らないほど人気の空也の看板商品だ。かの文豪、夏目漱石も空也もなかを愛した一人。自身の作品にも度々登場させたことでも知られている。
130年以上もの歴史を紡ぎ今もなお多くの人に愛されている空也。その5代目である山口氏自身、先代からは一度も継いで欲しいと言われたことはなかったそうだ。

「こうして取材をお受けするたびに、『いつから継ごうと思っていたのですか?』『継いで欲しいと言われていたのですか?』と聞かれますが、実際に継げと言われたことはありませんでした。先代の父は、継ぐ人間がいなければ暖簾を下ろすつもりでいたようです」

老舗和菓子店の中には、代々続いた歴史を絶やさないために、子どもが生まれれば後継ぎにと考えるところもある。一方で、山口氏は自分の意思で空也を継ぐと決断し、25歳の時に空也に入社。
入社当初、賞味期限の改ざん問題や食中毒のニュースが日本のメディアで大きく取り立たされ、人々はこれまで以上に食に対し、安全・安心を求めて敏感にもなっていた時代であった。当然、菓子職人達もより一層品質に対する意識が高まっていた。そんな中、菓子職人たちと肩を並べてともに働くためには、彼等と同等レベルの知識や技術がなくてはいけないと考える。そこで朝から夕方まで空也で働いた後、夜は東京の製菓学校へ通う生活を送るようになったそう。

「子どもの頃から見てきて感じたのは、和菓子業界は、知識のある人間であるか否かで、厳しくもはっきりと線引きされてしまうシビアな世界ということです。知識がなければ相手にはしてもらえず、話すらしてもらえないこともあります。ですので、空也に入社したと同時に、仕事の傍ら製菓学校へ通って一から基礎を学びました」

この経験は今となっても大きな糧となり、より和菓子の可能性を知ることもできたと山口氏は当時を振り返る。

「あんこを世界へ」老舗和菓子店の新たな挑戦

2011年、山口氏が「あんこを世界へ」との想いから新らしく立ち上げたのが「空いろ」だ。空也が紡いできた長い歴史と、新しい挑戦との融合によって和菓子の可能性を追求するブランドとなっている。空いろが誕生した詳しい経緯について、山口氏に尋ねてみた。

「空いろを立ち上げようと思ったのは、世間にもっと餡子そのものの魅力を伝えて行きたいと思ったことが大きなきっかけです。そのきっかけとなった一つの出来事に、羊羹コレクションという2010年から開催されている羊羹の展示・販売会の場で、『羊羹を食べたことがありますか?』というようなアンケートでした。そのアンケート結果では、4割の人が羊羹を食べたことがないと知り私自身とても驚きました。羊羹は和菓子の中では定番商品の一つです。それでも食べたことのない方がこんなにもいらっしゃるなんて、和菓子業界に身を置く者としては衝撃を受けました」

今やお寿司や抹茶を筆頭に日本の食文化は世界的なブームにもなりつつある。しかし、そのブームの波に和菓子はまだ乗り切れていないと山口氏。

「日本の方にもっと和菓子を食べて欲しい。その先に、世界の方々に和菓子を広めて行きたいという想いがあります」

「日本のお菓子」という新しいジャンルが生まれる予感

実のところ餡子はジャムやはちみつと似た感覚で、和のジャンルにとらわれることなく楽しめる。例えば、焼きたてのパンにバターと餡子を塗る。これだけでもジャムとは違う楽しみ方ができる。ホットケーキやパンケーキにバニラアイスとともに添えるのも良い。バニラアイスのコクのある風味に優しい甘さの餡子が絶妙にマッチして、両方ともの良さを消すことなくむしろ引き立て合い絶妙な化学反応を起こす。

「和菓子屋にとって餡子はキーである一方、今でこそ、多くの和菓子店が餡ペーストを販売していたりしますが、空いろを始めた頃はまだ商品というよりはあくまでお菓子を作るための材料でしかない印象でした。しかし、空也にいらっしゃるお客さまから餡子だけを売って欲しいとの声もあったため、そのニーズにお応えしたいとの思いから餡子にフォーカスを当てた商品のブランディングをしようと考えるようになりました」

“餡子=和“のイメージはもう古い。今やネオ和菓子と呼ばれる新しい和菓子も数多く登場している。空いろもまた、和菓子の新な可能性を追求し続けている。季節限定で登場する餡子を使ったチョコレートはまさに新しい試み。定番の「あんこブラウニー」や、こだわりの餡子を丸いクッキーで挟んだ「つき」は、和菓子や洋菓子などの枠組みを取り払う、全く新しい空いろオリジナルの発想がそのままお菓子として形になった商品。

「私自身、和菓子、洋菓子といった括り自体があまり好きではありません。日本で洋菓子と呼ばれているものも、日本人のパティシエは非常に優秀な方が多いので、海外から伝わってきたスタイルを自分なりのアプローチで再構築してどんどん日本的なものへと進化させています。いずれ近い将来、和菓子や洋菓子などと言ったカテゴリーはなくなり日本オリジナルのお菓子として世界で認められるようになるのではないかと思っています」

山口氏は和菓子職人である傍ら、20カ国以上にキャンバスを置いている料理学校「ル・コルドン・ブルー日本」で講師も勤めている。その場で感じ取ったのは、すでに日本のお菓子は世界に注目されつつあるという実感だった。

「5年ほど前からル・コルドン・ブルーにて和菓子の講師をしているのですが、海外の生徒さんが非常に多く、わざわざ日本まで来るというのはそれだけジャパンクオリティが世界に認められている証拠であると感じています。さらに日本人は器用で真面目な性格。これから色々な形でお菓子業界を牽引する重要な存在へとなっていくはずです」

ストイックに作り出される極上餡子

空いろは、より多くの人に和菓子の魅力を伝えるべく、さまざまな世代にフィットさせるために和菓子の可能性を追求する。その一方、空也時代から大切に受け継いできた「ものづくりに対するこだわり」もしっかりと守り続けている。

「良い素材を使えば、シンプルな製法でも美味しいものが出来る。これは空也の頃から大切にしてきた想いで今もなお空いろの根底ともなっています。味を整えるためや日持ちをさせるために余計な手を加えることだけが美味しさに繋がるとは思いません。丁寧に大切に、手間や時間を惜しまないこと。作り手の見えない想いのようなものも味を左右する大切な要素です。長く愛されて残っていくものの理由もまた、そういったところに宿るのではないでしょうか」

餡子の味の決め手となるのは、小豆の皮の部分に含まれるポリフェノールの成分をいかにコントロールするかと砂糖の種類や分量の見極めも重要となる。この2つのポイントをしっかり抑えれば美味しい餡子が出来上がるのだと山口氏は教えてくれた。
シンプルな素材と工程だからこそ、確かな知識と技術が必要となり、誤魔化しなど一切通用しない。餡子はその素朴な見た目とは裏腹に、かなりストイックな食べ物なのだ。山口氏が講師を務めるル・コルドン・ブルーでも、「生徒が10人いたら10人違うものが出来る」というほど、ごくわずかなバランスにより味が変わるので、餡子はとっても奥深い。

「餡子の完成には、2時間強はかかります。工程自体すごく多いわけでではないのですが、一つひとつを理解していないと美味しい餡子には辿り着きません。餡子を作る上で大多数の方は、餡子を練る工程に重きを置かれるのですが、それよりも前に、豆をしっかりと煮るところが大切なポイントです」

よほどの和菓子通でない限り、「餡子はどれを食べても同じ」と捉えられてしまうことが正直あるように思う。職人たちの手によって手間暇かけて作られていることを、果たしてどれだけの人が知りながら和菓子に触れているのだろう。
「こだわっているところまできちんとお客さまへ伝えて行きたいと思う一方、日持ちがしなければお土産として選びづらいと言ったお声もお聞きしています。ただ美味しさだけを追求するだけでは不十分なのだという難しさというか、ジレンマを抱えることも多いですね」と山口氏。だからこそ、食べた人の記憶に残るような究極の餡子を作るための努力は惜しまない。また、さまざまな人にフィットするように細やかなアレンジを効かせることで、すでに和菓子に親しんできた人ばかりではなく、和菓子に親しみの少ない人も楽しめるよう工夫も凝らす。

「和菓子を食べる時はお茶でなくてはいけないなどの考えはもう古いと思います。日常的にコーヒーと楽しむ方も多くいらっしゃるでしょうし、中にはお酒と一緒に甘いものをお召し上がりになる方もいるでしょう。もっと自由に自分らしく楽しんでいただくことが何よりも大切で、和菓子はお茶でなくてはならないといった考え方こそ和菓子の需要が減る大きな要因の一つであるとも考えます。そう言った固定概念を一つひとつ変えていくことも空いろとしての役割でもあるのかなと。例えばパッケージ一つとっても、昔ながらの和菓子っぽい雰囲気ではなく、洋のテイストを感じるデザインにしています」

空いろが展開する商品のパッケージは柔らかなパステルカラーを基調として、和菓子特有の優しくてほっこりとした印象はありつつ若い世代の人たちが思わず手に取りたくなるような今っぽいデザインとなっている。一見そのルックスからは和菓子とは気づかず洋菓子と勘違いしてしまう人もいるのではないだろうか。

「実のところ、洋菓子と勘違いして食べてもらってもいいと思っています。買って、一口食べて『あれ、餡子なんだ。でも、美味しいね』って。出会ってくれるならばきっかけは何でも良いのです」

そう話す山口氏からは、和菓子を後世に残したいとの強い信念を感じる。技術がものをいう職人ともなれば、自分のやり方は変えない、昔ながらを大事にすると言った職人気質の精神が強くなるが故に、どうしても和菓子に対して敷居の高さや日常の中で何気に手に取るなどと言ったカジュアルな要素が失われてしまいがちだ。けれど山口氏は、入り口を広くすることでよりたくさんの人が和菓子に触れて食べた人に美味しい幸せを届けてもいる。こう言った働きかけが、和菓子を後世へと伝える大きなきっかけとなるはずだ。

ほっとできるときを、空いろの和菓子といっしょに

最後に、お客さまへ届けたい想いやこれからの空いろについて山口氏に聞いた。

「この仕事をしていて感じるのは、お客さまに美味しいと思っていただける、食べて幸せを感じていただける、それはほんの短い瞬間でしかないかもしれないけれど、その瞬間をお届けできることが本当に幸せだという事です。お菓子は朝昼晩食べる食事とは違ってあくまで嗜好品、生きていく中で必ずしも必要ではありません。けれど、だからこそ、その瞬間に際立つ喜びがあるのだと感じます。そんな誰かの幸せな瞬間と空いろのお菓子が出合えたら嬉しいですね」

「空いろとしては、今年で丸9年が経ちましたが、まだまだできていないことの方が多いなと思っています。ここ10年で東京都内だけでもお菓子屋さんは100軒も減りました。大きな要因としては、世間の和菓子離れが挙げられます。その他、後継者問題も大きな壁となっています。先行きが不透明な業界だからこそ、後継ぎさせる意味がないと考えた末に暖簾を下ろすお店もあります。そう言った厳しい中でいかに必要とされていくかが今後、大切になってくるのではないでしょうか。また、ここ数年でお買い物のあり方自体にも変化があり、通販の重要が一気に増えています。しかし、賞味期限の短い和菓子は通販にフィットしきれていないのが現実であり、いかにお店に足を運んでいただけるか、それだけの価値を提供できるかが大きな課題にもなってくるのかなと私自身考えています。だからといって何か目新しいことをするのではなくて、今までやってきたことのクオリティを上げる努力。そしてコツコツと積み上げていく忍耐力が必要になると思っています」

「長く愛されているサザエさんのように、日本の日常の中にあるお菓子が和菓子であり続けられれば、それはとても素晴らしいことなのではないでしょうか。その働きかけを、空いろとして、空也としてやっていきたい。もしかするとこれは、私個人の願いなのかもしれません」

店舗情報
店名:空いろ 銀座金春通り本店

住所:東京都中央区銀座8-7-6 平つかビル1階

営業時間:月~金 11:00~19:00/土 11:00~17:00

定休日:日・祝 定休(別途店休の場合あり)

本山智男
株式会社SweetsVillage 創業者。 3度の飯よりスイーツが好き。お菓子屋さんの取材を50件以上実施。様々なスイーツの企画にも携わり、スイーツの商品開発などにも携わる。